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被害者の戦う勇気


差別を無くすことについて

前の記事「何故逃げ出さないのか」から続いています。

虐待の問題の基本なんだけど

被害者本人が立ち上がらないと、変わらないって法則がある

周りの人がどんなに助けようとしても
本人の気持ちが何より重要

これが無いと何も動かない

長年の恐怖政治の所為で、骨抜きにされてしまっていたら
立ち上がる気持ちすら持てないよね

そういう気持ちになることすら、怖くて出来なくなってしまう

それ程、強い力で抑圧をされ続けた人は萎縮しきってしまっている


例えば親に虐待され続けた子供がいるとする

第三者がそれを助けようとする

でも、
「僕、何もされていませんから!大丈夫ですから
もうほっといてください」
と門前払いしてしまう

後で親に今迄よりもっと酷い目に遭わされることが怖いからだ

家庭裁判所でも、最後の最後は本人の言葉が決め手となる

このまま放っておいたら悲劇が起こるとわかっていても、

本人の口から「問題はありません」と言われたら、手は出せない


ここが肝心なんだ

完全にやる気を削がれてしまう前に
立ち上がってしまわなければならない

自分の権利は自分で勝ち取らなければならない

その気持ちがあれば、手伝う人の支えも効果が出てくる


   本人の自尊心が何より大事なのだ

その為には、絶対に恐怖心に負けてはいけない

報復を恐れて、相手の思うままになってはいけない

ここだけは踏ん張らないと!

   恐怖を乗り越えるんだ

自分の心に眠る原始的な怒りを奮いおこすんだ


自分の人権を守ろうとする心は、絶対に失ってはいけない

元々、そういう概念を与えられていなかったら
まず、知るところから始めないといけない

インドで、生まれながらにして階級の下に位置付けられてしまった人達に、どうしたらこの事が伝わるだろうか

 

何故逃げ出さないのか


インドの位の低い人達は
何故外国に逃げないのか

前の記事から続いています。
差別社会の闇

お金が無いのもあるけど一番は

宗教で心まで縛られているからだ

カースト制をうまく行かせるために
宗教の力が大きかった

彼らの世界では
現世の階級は、前世の行いで決まっているという

だから、現世で低い位になったものは
苦しみに耐えて、労働に勤しんで
悪かった行いの罪を償うのだと

そうすれば来世では位が一つ上がり
また頑張って頑張って来世では…というように
どんどん上に上がっていけるという考え方なのだ

この基本的な思想はいいよ

「皆さんそれぞれに今、与えられた中で精一杯努力をしましょう」
これは素晴らしい

でもそれと、“階級”を組み合わせたところがよくない!

破壊的に極悪だ!

階級は人が自分達の都合で後から考え出したものだ

上の位の者達は、何とうまく考えたものだろう

これじゃあ下の人達は我慢するしかない

逃げれば来世でもっと苦しくなると信じ込まされているのだから

下の位の人達が逃げ出さずに、仕事を真面目にやるのに、こんないいアイデアも無いだろう

だからだ

普通ならどう考えたっておかしいことが
凶悪な犯罪者が罰せられないとか
下層級の貧しい弱者が被害者なのに罰せられたりとか
あり得ない犯罪が増えてしまうのだ

システムが間違っているからだ

それもこれも、上の人達が安泰な暮らしを守る為に

許せない

何千年と、これを信じ込まされてきたのだ

これを知って憤怒を感じないのか

私は我慢出来ない


事の発端は
本来の自分でやるべき仕事を、誰かに背負わせるため
そんな小さな身勝手から出た事だったのだから
誰かが楽をしたい、いい思いをしたいという身勝手のために、どれだけ多くの犠牲が生まれたか

本来の姿に戻すべきなのだ

痛み分け?いや、元々自分でやるべき事
それを代わってやって貰っていただけ

正常に戻すのだ

自分の事を自分でやるだけのことなんだよ

みんなで一緒にやればいい

小学校の時、教室をみんなで掃除したのと同じ事だよ

誰かが楽をしたいのと、間違った事を続ける事で誰かの悲劇がエスカレートするのとどっちがいい?

自分が楽をする側に回れば、悲劇の側の人達のことはどうでもいい?

もしそれが自分だったら?

顔を溶かされて視力も聴覚も失って
人の形とは思えない姿に変えられてしまった、弱くて低い立場の女性達の姿を見てほしい
あんなに美しい女性達だったのに
彼女達は何も悪い事をしていないのに
それでも階級が決まっているから耐えて生きていかなければならない
加害者は罰せられないこともある
ますます犯罪は増える
そんな社会で毎日「明日は我が身」と、怯えて生きている人達がいる

想像してみてほしい

世の中の仕組みさえ正せば、そんな恐怖に怯えなくて済む
誰もが!


階級制度も酷いが、性差別もそれはそれは激しい

女性は教育を受けられない

何故か?

女がモノを考えるようになったら都合が悪いからだ!

何千年もの長きに渡って、女達に押し付けてきた事を、女達がもし放棄したら
自分達にお鉢が回ってくる
と、怖れているのだ

自分より圧倒的に下の位置にいる者を格上げさせたくないのだ!

都合、都合、都合!

自分達の都合の為に、うまく理由付けて、思考さえも奪ってきたのだ


これはインドではなくパキスタンのことになるが
マララさんを思い出してほしい

「女の子にも教育を」と言って、銃で頭を打たれた女の子だ

「女の人も勉強出来るようにしましょうよ」と言っただけで

   銃で撃たれてしまうんですよ!

どんな社会だよ!と思いませんか?

女に学ばれることが、それほど嫌で嫌で堪らないのだ

自分達が努力しないで、いい思いをする為にだ


女が学んだって男が損をするとは限らない

男も女も個性があるんだ

得意不得意もある

個人差で自分に本当に合った職業を選べばいいだけのことだ

主となる職業は選び、みんなでやらなきゃいけないことはみんなでやる
仕事は自分の職と社会のメンテナンスの二つを持つようにする


女が学ぶことで男の得になることも沢山ある

むしろ、これまでの負担が軽減される

ただ、これまで横暴で横柄で暴力で押し通してきていた男は困るだろうな

女を押さえ付けておきたいのは、そういう連中だ

自分が気に入った女に相手にされずに、それを逆恨みして硫酸を掛けるような男達は
自分に人間的な魅力が無いんだ
努力する気も無い
人間性の優れた男は女に選ばれている
インドの男も色んなタイプがいるのだ


自分より立場の低い相手を
「とにかく虐げる
虐げて自分より下の位置の存在を確保しておく」

そんなやり方は絶対に破綻する

誰かが社会を変えようとして失敗したとしても
何度でも、別の誰かがやるだろう

間違ったことは必ず壊れるからだ

必ずいつかは正しい形になる

だったら早いうちに改めることだ

これ以上、大罪を重ねてはいけない


差別社会の闇


差別社会の闇に行き着いた

前の記事
衝撃
法律
から続きます。

これは表面的なことの、更にその一部でしかなく、問題は想像を超える程、複雑だった

調べていくと差別社会に原因があると行き着いた

カースト制

1950年に廃止されている
形上では

でも実際には無くなってはいない

そう簡単に無くなるはずもない

紀元前13世紀という大変に古くから続いてきたものなのだ

カーストによる差別からの自殺も多い

そりゃそうだろう
どんなに優秀で努力家で能力が高くても、差別から抜け出す事は出来ないのだから

酷い犯罪が厳しく裁かれない背景に
差別があった

低い位にいる者は
高い位の者から
何をされても仕方がない

低い位の女性が集団による性暴力に遭っても
被害者の方が罰せられるという理解不能なこともある
加害者側がお咎めなしということもある
これでは、
相手が言うことを聞かなきゃ強酸の液体で顔を溶かす
被害程度によっては視覚聴覚も奪う
だなんて、とんでもない事も流行ってしまう訳だ
罰も厳しくない
これでは位が高い者はやりたい放題だ

比較的平和で平等な日本からすると、狂っているように見える

位が絶対な社会

そういう基本姿勢が国全体にある

仕事も位によって決められている

汚い、危険な仕事は、低い位の者にやらせ続けてきた

わかりやすく言うと
「トイレ掃除は、いつも誰がやっているの?」
ってことだ

インドでは自分の右手、左手にすら差別を作っている
左手を「不浄の手」とする考えがある
差別が根っから染み付いているのだ

私は、インドという国をほとんど何も知らなかった
日本に対して友好的
数学に強い、学力の高い国ぐらいの印象しかなかった
今回、知らないということがどういう事かを知った


私がここで感じ取ったのは仕事の分業化の行き過ぎのことだ

仕事が細かく分けられていて、他の位の仕事には手を出さないということが徹底しているらしい

それが更なる差別を生む

差別を増長させる

今の状態は、そうしてどんどんエスカレートさせてしまった結果なのだろう

一度、高い位の暮らしに慣れてしまった者が
低い位にやらせていた仕事を、出来るはずがない
生まれながらに刷り込まれてきた意識は急に変えられない

「この地位にいる自分が、そんな仕事出来る訳がない!」
というプライドが強くなってしまうのだ

下の位の仕事に出を出せる筈がない

自分達がやりたくない仕事を“誰か”にやらせ続けるために、位の厳しい制度を取っ払う訳にはいかないという都合があるのだ

一度、高い地位について、いい思いをしてしまったものは、それを守るためなら何だってやる
ということだ
「既得権益を守る」というやつだ

私は日頃から思っている事がある

全ての人が「自分の事は自分でやる」を徹底したら、どれだけ平和になるだろうかと

仕事を分けてしまう事で差別は強固になる

「君、ここ、片付けてないよ」

「だってそれは誰々さんの仕事でしょ」
「今までずっと、誰々さんかやってきたじゃない」

というやつだ

いつの間にか、「誰かの仕事」にさせられている

大抵それは、親切な人、断れない人、立場の弱い人に押し付けられていく

それが国単位で大きくシステム化されてしまった結果が、今のインドなのだ

全ての人が自分の身の回りのことだけでも自分でやれば
誰か一定の人にだけ雑務が集中することが無くなり、
それと絡んだ差別もどれほど減るだろう

地位や年齢や性別に関係無く、自分の事は自分でやるのだ

もしくは、キッチリ平等に当番制

社会の中の問題はここと深く関わっていると感じている

人間関係の問題も、かなり軽減するだろう

例えば、家庭の中でも言える

仕事の役割をキッチリ分けてしまう事で、位の差は生まれていないか?

みんなが同じ仕事を一緒にやれば、差は少なくなる

全ての人が独立採算制で、雑用もやる

効率は確かに悪い
でもこれが精神的には理想の形なのではないだろうか?

差別を減らし、より対等な関係を目指す

誰かが誰かを踏みつけにすることはない

誰かが誰かに踏みつけにされ続けることもない

ただし、家庭の事情により、柔軟性はあって当然
お年寄り、子供、病人…
本人達が自分の得意な事でギブアンドテイクのバランスを合わせられて、心底納得していれば自由
こう言う事なら?

根深いカーストを壊滅させる為には
全ての人が、自分の持ち分は自分でやる
自分の汚物は自分で処理する
難しい事はキッチリ平等に当番制
これを基本から徹底させることが効くと思う
誰かだけが狡をして、雑務から免れようとするのを絶対禁止すればいい

 

法律


法律というものが、どれだけ大事なものか痛感させられる

昨日の記事「衝撃

加害者側へのお咎めが軽過ぎるのだ

何故だ?
どうなっているのか

誰かが自分の思い通りにならないから不満だという身勝手な理由で
殺人より恐ろしい手段で、相手の人生全てを滅茶苦茶に壊しておいて
数年懲役を受けるだけで終わりだなんて

犯罪を抑止するつもりは無いのか

絶対にやってはならないことなのだから、
加害者も自分がやられる側になるのは嫌だろうから、それにキッチリ見合う刑罰が必要だ

  やったら、やられるんだよ、同程度の事を

これが大原則だ

ここでふと思う
法律が出来る前は、こういう事はどうなっていたのか

悪いヤツのやりたい放題だったのか

よく滅ばなかったものだ

小さな町などはそれで滅んでいたかも知れない
移動が難しかったから、広がらなかったと言うだけで

それと、やはり昔は『やったら、やられる』が徹底していたからなのかも知れない

結局はそれが理に適っているのかも

個人の報復を禁ずるなら、禁じる組織がキッチリ肩代わりしてくれないと割に合わない

犯罪の広がりも止められない

今はどうだ?

凶悪犯罪が止まらないということは、そこの法律が間違っているということを示している


破壊力の大きい危険物があった場合
それを取り扱う人間は、余程の信頼性の高い人物でないと、一般人は安心出来ない

日本は薬物の取り扱いが厳しいけれど
それでだって被害者は生まれてしまう

   薬害だ

被害者は一生苦しむ

まあそれは、故意にではなく、医療のマニュアルにそう載っているから処方しただけの事で
あの悪行と一緒には出来ないが
それでも被害者が一生苦しむことは同じだ

危険な物質を、長期間使えば危険になるかも知れない物質を人に充てがう時は、相当な注意と覚悟が必要なのだ
そこまで考えて処方している者は、果たしてどれだけいるだろう?


自分や大事な人間の身の安全を確実に守る為には、何があればいいのか

考えさせられる事は続く

衝撃


恐ろしい世界があることを知ってしまった

大きな衝撃を受けた

世界は余りにも広かった

文化の違いとはなんと大きいのだろう

世界には恐ろしい現実が今も存在している

私の苦しみを共感してくれる勇気のある方は検索してみてほしい
だがしかし、心臓の悪い方や精神的にデリケートな方にはお勧めしない

キーワードは「アシッドアタック」だ

こういう言葉があることも初めて知った

こういう社会現象が実際にあると知り
しかも、決して少なくないことを知り
深く考えさせられた

日本という国の平和さを心底ありがたいと感じた

悩みの度合いが違い過ぎる

これを知った人は、自分が日々悩んでいることが小さく感じられるのではないだろうか

だが、肉体の、特に顔の損傷ということで
アトピーで苦しんできた人間には、他の人達よりもその苦しみの理解度は高いだろう

その体感的な変化と世間の目の変化に、どれだけ苦しんだかということも想像出来ててしまう

肉体の損傷により、日常の当たり前のことも出来なくなってしまう、その余りな不自由さも解るだろう

それは健康な人には実感としては理解出来ないことだろう


努力の積み重ねの大変さと
それを奪う一瞬の力との
バランスの悪さがあまりにも酷い

努力の積み重ねは本当に大変だ

何か必要な条件が一つでも欠けていたら、積み上がらない

それなのにそれを破壊するのはほんの一瞬だ

しかも加害者側の非常に安易な気持ちからでも、その悲劇は起こってしまう

理由のあまりに身勝手なこと
驚いてしまう

こんな不条理が許されていいのだろうか

いや、断じて許されない

加害者は被害者が受けたのと同じ苦しみを味わわなくてはならない

でなければ、その事の重さを理解出来ない

重い罰が、事件の拡散を食い止める

何かを守ったり育てたり、良くすることは大変なのに
悪くなったり壊れたりするのは簡単という

病気の根本治療も同じだ
特にこのブログのテーマであるアトピーの治療はその苦労が顕著だ

エントロピーが増大する世界だから
崩壊への方が簡単に進みやすいのだろう

そういう物理法則の場に、私達は存在しているのだ

だから本来、こういう場に生きるもの同士として、お互いを大事に守り合いながら暮らさなければならないのだ

そういう努力があってやっと安心して生きていけるようになるんじゃないか

それなのに…


ただ、この事を知ったことをキッカケに、この先の生き方を改めて考えることが出来た

どういう心構えで生きていけばいいのかということも

これを読んだあなたは、何を思ったでしょうか?

容姿というもの


 同じ重さのアトピーでも
その苦しみの度合いは大きく異なる

その人の価値観が大きく影響してくる

例えば、全く同じレベルの症状の人が二人いるとする

でも、その二人の苦しみ方、悩み方は全く違ってくる

あなたはどっち側の人だろう?

私は苦しみの度合いが強く出てしまう側の人間だ

それは何故か

元々が容姿重視型だったからだ

容姿というものに重きを置いている人間は
そうでない人よりも
より深く強く苦しむことになる

私は自分を容姿に囚われない人間だと思ってきた
闘病生活が長引いて殊更そうなった

実際に、私は人を容姿で判断したりしていない

そういうことをあからさまにする人間を軽蔑しているし、
なるべく人の内面を見るようにしている

でも、事はそんなに簡単ではなかったのだ

持って生まれた感覚は中々変わらない

私は自分の価値の置き所として、容姿に頼っていた

いや!誤解されては困るのだが、
元々容姿が優れていたというわけではない

容姿にはコンプレックスが強くて、
「ここが嫌だな」
「もっとこうでありたい」
「こういうタイプの顔でありたかった」
など、見た目のことに相当にこだわる性格だった

が、世間一般から劣っているという感覚は持っていなかった

周りがお世辞を言ってくれていたから、それを信じていたんだろう

だから

この世は見た目でランクが決まってしまう

そう、根底で信じ込んでしまっているのを感じる

理屈ではとんでもない

そんな事は考えていない

見た目で人の評価をするなんて大嫌いだ

人種差別も憎んでいる

人の価値は魂の磨き方で決まると思っている

でも…本音の本音を探ると、刷り込みが抜けていない部分もある

心の奥のほうでは、容姿が大きな要素だという感覚が染み付いている気がする

それが私を苦しめる

この病気では見た目が大きく下がる

普通の人のレベルに達することが出来ない
一般人に溶け込めるのが目標だ

自分がこうなって初めて思い知る

差別される側の気持ちを

ランク分け、嫌だ
こういう考え方、良くない

世の中には大きな事故や病気で
人前に出られないでいる容姿の人もいる
多くの人が知らない世界がある
そういう人達も含めて、容姿で判断しない世界を望む

ファッションは別
行動で変えられるものだから判断基準にしていい
特に目立つ奇抜なファッションは自己主張だから、
「そういう価値観の人なんだな」と思うのは当然だと思う
でも、自分では変えられない肉体的なものは判断基準にしては駄目だ

だから、
この奥深くに染み付いた呪縛から逃れたい

人の価値は見た目じゃない
心底それを信じ抜けるようになりたい

でも、物心付いてからずっと容姿を軸として生きてきたものが
それを変えることが出来るだろうか

どこかで変えたくない気持ちもある

それは、綺麗になれるものなら綺麗になりたい
という気持ちがまだあるからだ

「綺麗にならなくて結構」と迄は達観出来ない


でも、これを書いているうちに、心が落ち着いてきた

まずは自分からなんだ

自分が人をどう見るかが大事だ

人をどう見ているかが自分自身の姿なんだ

見られる肉体だけが自分なのではなく
見ている自分と、見て何を思うかが自分だ

見る相手になるのは他者だけじゃない
自分は自分のことも見る
自分が自分をどう見るかだ

ああ、肌がボロボロだなあ、病気だなあ
可哀想になあ
頑張っているなあ
でも、好きだなあ
私だなあ

こういう優しい気持ち

これが大事だね

 

「自家製減感作療法」と「7年周期」


先日から続いている「7年周期」に関係する記事

保留になっていたリバウンド

体調上向き

これに引き続き、更に過去記事を見付けたので再度上げておきます。

上の「自家製減感作療法」は別件です。
「7年周期」関連は下半分になります。

本来、細胞分裂が進むと、悪い影響を受けた部分が少しづつ剥がれ落ちていくのですが、
その力が阻害されている場合、スムーズにはいかないのではないかと推測しました。

古い汚染された細胞が長く残っていると、新しく出来た細胞から異物として捉えられてしまうのではないか

すると、免疫はそれを一気に排除しようと力を発揮するのではないか

それが強い炎症という形で表れるのではないか

そういうイメージで捉えていました。


2017.1/24

***・・・***・・・***・・・***・・

2011.8/29

「自家製減感作療法」

こんな言葉が有るのか解りません。
私の勝手な造語です。
(いや、造語にすらなっていない…2つの言葉を繋げただけ;)

一般的に減感作療法とは、注射や舌下投与などでアレルゲンを非常に薄めたものを身体に入れて、徐々に慣らしていく方法ですが、
それを人工的な物は使わずに、日常生活の中で自然にアレルゲンに触れていき、自分で抵抗力のある身体を作っていくという事をイメージしました。

本来健康な身体はそうなっているので、わざわざ自家製減感作療法など言わず普通の事なんですが、
アトピーやそれにまつわることで苦しんでいる人達は違うので、敢えてこう言ってみました。

私の個人的見解であることを今一度しつこくお断りしておきます。

私は脱薬から何年も経っての症状激化を経験しました。
私はこれを、身体と日常生活が自然に起こす自家製減感作療法なのではないかなと踏んでいるのです。

症状が激しく出ている時は、生活習慣にとても気を付けていくのですが、それだと身体と精神が長い生活の中で持たなくなってくるのです。
アレルゲンを避け続けると、どんどん敏感になっていきます。
それに合わせて更に続けていくと栄養が不足してしまいます。
どこかで食い止めないといけなくなります。

それと、症状も和らぐので、気配りを緩めた時にアレルゲンに触れたり、運動が減ったりして症状が出てくる…と。
しかも気を付けていた分、その環境下でのみいい状態をキープする様になっていた為、純粋培養の様な状態になっていて、少しの変化でも激しく反応が出てしまう。
でも、そこを越えなければ次のより強い段階に行けない…と、そういう仕組みなのではないかと思いました。

ただこの悪化については、以前も何度か書いたことがありますが、もうひとつ仮説を考えてみました。

そのもうひとつというのは…

「7年周期」

身体の状態が入れ替わる時期というのがあると言われています。
入れ替わり可能な細胞が全て入れ替わるまでに、7年とか8年とか掛かるそうです。
今回の症状の現れはその入れ替わりの変化に対応したものではないか…
という考えです。

勿論身体の細胞は、日々新陳代謝を繰り返しながら徐々に徐々に入れ替わっていくのですが、その中にも、入れ替わりがある割合を越えると階段状にガクッと身体に大きく影響を与える要素が幾つかあって、そこを乗り越えないと次のより強い段階に入れないということがあるかも知れない…と。

それが一昨年来たのではないかということです。

(★これは脱薬後丁度 “7年”に当たっています 2017.1/24)

例えば薬など何も使わなかった人は変化がなだらかなのですが、過去に強い薬などを使用した人はそのなだらかさを保つ機能が損なわれている。
そんな印象です。

私も去年激しい悪化を経験して、それ以来この2つの仮説を考えていました。
でも文章でうまく伝えられそうになく感覚的に捉えていたのですが、今回私がよく読んでいるブログの方にコメントとしてお伝えする為にいい機会なので文章化してみました。
いつもながら解りづらい文章でうまく伝えられるかどうか心配なのですが勇気を出して投稿してみました。


追記:

免疫細胞とは白血球のことです。
この白血球は骨髄の中で作られています。
この骨髄の中は骨髄液で満たされています。
この骨髄液は日々入れ替わり続けているのですが
そうやってほぼ7年経つと全て入れ替わる計算になる
と言われているのです。
免疫系を司る元になる体の中の液体が入れ替わってしまうのであれば
例えば10年前と細部まで全く同じ免疫の働きをするのであろうか?
と言うことなのです。

骨髄液は毎日少しづつ入れ替わっていくのですが
ある時身体に何か大きな変化があった場合(例えば脱薬など)
そこから数えていき、新しく作られたものがある一定の割合を越えた時
何か大きな変化が起こり、それが何らかの症状として強く現れることはあるのではないだろうか?

そんなイメージでした。

 

体調上向き


体調、大分上向きになってきました。

本来、もう少し良くなってから報告しようかと思っていたのですが、記録のためでもあるので残しておきます。

まだ夜になると額から滲出液が滲み出してきてしまうこともありますが、ラクになってきました。

何より解放されるのは、「上向いている」という実感が精神状態を助けるからです。

自分がどの位置にいるかを知ることができると心は安定します。

先日の記事「保留になっていたリバウンド」と関係の深い過去の文を見付けたので、ここで一緒に上げておきます。

この事はかなり古くから予測していたのです。

ただ、これを書いた時はまだ、14年後に大きな波が来る事までは知りませんでした。

この波が来てから、私はずっと「大きい波」と言い続けていますが、出る場所によっても体感は変わります。

今回は主に 顔 に出てしまった所為で、実際より大きく感じるのかも知れません。
特に、目の周りと額、マスクで隠せない部分です。
しかも直前はかなり良くなっていた所に突然ドカッと来たものだったからです。
あと、体感に大きく影響する耳の奥と、首回りです。
(プロを使っていた部分だけクッキリです)

それらを考慮すると症状的にはそんなに大きくはないのかも知れません。
体の他の部分の炎症はそう強くはありません。範囲もこれまでより格段に狭いです。

私の言葉に影響を受けて、あまり心配になる方が出ると困るので、その事も付け加えておきます。

長い目で見れば良くなっている事は間違いないのです。

2017.1/22

***・・・***・・・***・・・***・・

記事タイトル:私の見解

投稿日:2011.2/24


これは2011.2/17に書いた文章だ。
でも、ブログに出すのは躊躇っていた。
読んだ人が不安になるかも知れないからだ。
しかし!
やっぱり載せておこうと思いたった。
記録を残しておきたいんだ。

ただし、あくまでも、私の勝手な見解です!

私のこの症状は薬の後遺症であると思う。

脱プロトピックをする。
プロトピックの害が時間と共に薄まり徐々に改善していく。
そうすると今度はやっとステロイド依存だった頃の肌になる。
そしてそれが改善されて初めて元々のアトピーの状態になれる。
そこから今度はアトピーが改善され始める。
…と、こういう流れなんじゃないかと思う。
(大雑把過ぎるけど長々書くと難しくなるので)
そしてプロトピックの長期(3年ぐらい)連用の害から解放されるには約7年掛かると思う。
勿論、人によってその長さは異なる。

私の場合は
プロトピックの後遺症があともう少しで終わる所迄きている。
(実際には死ぬまで完全には消えないのかも知れないけど、ある程度は…ってことで)
だからステロイド依存の頃の症状が少し出たのだと思う。
完全に普通の肌になれるまであとどれ位掛かるのか解らないが
それでもなんとか頑張っていくしかないのだ。
辛い山が来た時、じっと何もせず耐えること。
これで乗り越えて来た。
これからもこれでいくしかない。

 

旗当番🚩


ひぇ〜
こんな体調の時に旗当番🚩※

※ 解説しましょう。
旗当番、正式には「立哨(りっしょう)当番」と呼ばれるものです。
小学生のお子さんがいない人には聞きなれない言葉だと思います。
昔で言う「緑のおばさん」の役割で、登校中の道路の横断などをサポートします。
小学生の子供のいる親全員が順番でやらなければなりません。


この旗当番、私の番が近付いてきました。

あちゃー、この顔で大勢の子供達の前で挨拶&横断サポートは…

   キツイ!😱

そう、今までは幸いにしてたまたま体調が比較的いい時に当たってたんですよ。

顔のひどさも、ちょっとなら…

   気合いでなんとか!💪

と、持ち前のポジティブ根性絞り出しで🍋
楽しい事だと自分に言い聞かせ、頑張ってきたわけです。

でも、こういう時に順番が回ってくることも当然あるわけで…

   う〜〜ん(~_~;)

と、思っていたら
今朝!
体調がかなり持ち直してきてる〜!!

なんて空気の読める身体なの!
エライエライ

これならなんとか間に合いそう

   ふう〜


後日記述:

ただいま無事終了!
寒かったけど、晴れてくれて☀️助かりました。
次回は3月、寒さが和らぐ頃
今回よりいい笑顔でやりたいな

 
  • @

保留になっていたリバウンド


2017.1/17の朝思いました。

やっぱり私の見立て通り

「これは脱ステ時のリバウンドだ」と

私は脱薬から14年経過しています。

どういう事なのか説明します。


普通、脱ステをすると
その直後からリバウンドが激しく起こります。
そして、個人差はありますが半年位でその激しい勢いは一旦収束していきます。

ですが!
免疫抑制剤プロトピックを継続的に使用した場合は異なります。

その名の通り免疫も抑制されますが、
細胞分裂も抑えられ新陳代謝が衰退していたことが考えられます。
(細胞分裂を阻害する作用があります)

プロトピックを使った部分だけは完全に治りきることがなく
(ステだけの所は炎症が無い時は普通肌に戻ります)
いつも古い皮膚が張り付いたようなクシャクシャのパラフィン紙の様な、そして色もくすんだ感じが続いていました。
それはハッキリ違います。


人間の身体には変化の周期があります。

   7年です。

7年周期は身体の多くの細胞が入れ替わるからとも言われています。

その間はまるで凍結されているかの様な状態で
離脱反応が一部保留になっていた…のではないか
と言うのが、私の経験上の推測です。

私は過去に3回の脱ステを行なっていますが
プロトピック使用後の脱ステは、比較的軽かった印象があります。
(誤解の無いように付け加えますが、“比較的軽い”といっても並みのホラー映画より恐ろしい世界であることには変わりません)
それは肌の組成が変化し、一度に全てが離脱し切れなかったからなのかも知れません。

脱ステ・脱プロ直後
まず大きなリバウンドが来ました。

そしてその後穏やかに回復していき

突如それは起こりました。

7年後の大爆発です。

そしてそれも一年程で落ち着き、時は流れ

次がやって来ました。

   2度目の7年後

  14年後である今です。

周期である7の倍数で大きな波がやって来るのではないでしょうか。
必要な変化が完了していなければ、ですが。

この記事では小さい波のことは省略しています。

あと、今回は複雑になるので単純化して大枠しか書いていませんが、他の要因との絡みもあります。
身体の総合的な力が排出を助けるのです。
余りに衰弱していると本来身体に必要な離脱が起こらないこともあるのです。
でもそれについて書くのは別の機会にします。


実は私にはずっとその予感がありました。

 … まだ完全に終わっていない … 

と、いつか大波が来ることを怖れていたのです。

でも、来なければならないものなら、
乗り越えなければならないものなら、受けるしかありません。

そう言う気持ちでした。


ただ、来たから言えることですが、
その大波も最初に比べれば小さいです。

でも、普通に生活出来ていた所に来られるので、突然の不便が多く、
知り合いに顔を見せられないとか、そう言う辛さはあります。

いつもの小波の様に、
食事を見直したり、運動をしたり、その他色々な工夫をしても止まないのが大波です。

良くなってきたかな?と思うと次の山が来ると言う感じで中々終わりません。


脱薬当時のことが蘇ります。

皮が乾燥して厚めにむけるのです。カサブタのように。

ここ最近の数年間ではこんなに分厚く剥けることはありませんでした。
新陳代謝が非常に遅いからだと思います。
なので、懐かしい感覚です。

そしてそれを何度も繰り返します。

繰り返しながら少しづつ回復していきます。

通常の脱ステと同じ様に。

でも2017.1/17の朝は気分が良かったのです。
前日の夜、あまりの乾燥による硬さに、どうなる事かと思った割には。

肌の表面はガサガサだけど
痒みはなく、肌の奥の方が普通の人という感じがしました。

今回の大波が来る前は
肌表面はしっとりしていたものの、
薄くて柔らかすぎて肉が無い感じで、頼りない感じが続いていました。
そう、張りがない感じでした。

そして、それが肌のたるみや老けて見えた理由かも

というとは、これからは張りが戻って少し若返れるかも知れないってことでもある?(ë_ë)

経過観察を続けます。

 

Appendix

プロフィール

瑠璃色

Author:瑠璃色
『あとひといきの会』の管理人
瑠璃色です。
重症寝たきりアトピーでした。
脱ステ脱プロ脱保湿継続中です。
現在は別のサイトで心理カウンセリング事務所を経営しています。

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