今、私はアトピーとはほとんどわからない肌になれました。
肌触りも素晴らしくいいです。
(手先は酷いです。が、通りかかる人にいちいち見られる場所でもないのでヨシとします)
やっと鏡をまじまじと見ることが出来る様になりました。
ところがそうなるとここに新たな発見が…
細かく顔全体にびっしり埋め尽くされた皺、肌理(きめ)が大きくなったような皮溝に沿った皺の様なものが残っていたのです。
(前回の記事の最後に書いた事の詳細になります)
この小さい皺とセットで肌の弾力の無さも感じます。
毛穴と皺が同じ溝(皮溝)にあって毛穴皺みたいな感じになっているんです。
これが化粧品会社のCMでよく出てくる「たるみ」というものでしょうね。
(これについてはまたしても夫に指摘されました。表現の仕方も悪気は全く無いのにグッサリくるもので、く~、大ショック!でした)
炎症が消えると今度はこの肌理の荒さが目に付く様になりました。
これが表情を動かす度にザーっと顔全体に表れるのです。
しかも変に光沢があって光の反射が妙に目立つのです。
いわゆる「ビニール肌」ですね。
表面がテラテラ肌理の形ごとに光っている感じ。
それでも鏡を見られる様になった今の方が前の酷かった時より数段マシなんです。
大きな皺もあったんですけどそれは消えました。
前は見た目だけでなく肌触りも自分の肌の内側から感じる感覚自体も悪かったのですから。
それでこれです。
うーん、これ、どこまで改善出来るだろう?
以前、「美しい皺」についてブログの記事として書いた事があります。
長い年月を掛けていい笑顔によって作られた皺は美しいという様な内容でした。
確かにそれはその通りです。
でも私の場合は違います。
自然な笑顔で作られたものでもないし、見た感じ病的な印象があります。
実際病気と薬の後遺症からできたものだし。
だから「治したい!」これが本音です。
前の大変な時から比べれば贅沢過ぎる悩み。
それはよくわかっていますが、それでもやっぱり治りたい。
身体も以前は酷かったのに今は全く普通肌です。
肌理が細かくなってちりめん皺もほとんど残っていません。
だから希望は捨てていません。
私の今の目標は
「肌、綺麗ですね」
と言われる域に達することなんです。
そこまで来て初めてこの闘病のゴールだと思っています。
症状がとても酷かった時もずっとそう思い続けてきました。
見た目の事なんかに左右されるのはくだらないと思う気持ちはあります。
人の評価になんて振り回されてはいけないとも思います。
見てくれより自分のやるべきことに専念すべき…
でも、正直に自分の気持ちを表すとやっぱりそこに行き着きたいと強く思ってしまうのです。
子供の頃、肌が綺麗だと言われていました。
高校生になったばかりの頃にも言われたことがあったのを今でも覚えています。
その頃は炎症が出ればステを使っていましたけどね、何の躊躇いもなく。
「肌が綺麗な人」に戻れて初めてこの闘病生活に心底「勝った!」と言えると思っています。
自分の選んだ治療法により強く自信を持てるし、延いてはこの生き方にも自信を持てます。
そして、自分の、と言うか人間が本来自然に持っている治癒力の強さをより深く信じられると思います。
でもそこに行くにはまだ時間が掛かりそうです。
皺が消える迄、ここからどれぐらい時間が掛かるのか意識して記録を残すためにこの記事を栞(しおり)の様な存在としてここに置いておきます。
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