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恐怖感を消すアイデア

自分が幸せになることばかり追い求めると、生きるつらさが増すのかもしれない…
と昨日、落胆の溜息をつかせるいつもの鏡を見ながら思い立った。

自分の幸せではなく、
「いかに人を幸せに出来るか」
を一番に追い始めると、急に目の前が開けてくるのではないか?

そんな考えが閃いた。

この考え方を他者から押し付けられるのはとても不快だ。
どんなに良い考えも他者から圧力を掛けられていると感じた時点で嫌になる。
だから私は人にはそれをしない様にしている。
逆効果になることが多いからだ。

でも、自分発の考えでこれを、
しかも決定事項ではなくて
「試してみたら?」と発想してみると、案外いける気がした。

逆転の発想で活路を見出すのは私の好みだ。

例えば
「目の前にいるこの子の世話をする為の役割の人になる」
「この子の幸せの為を一番に掲げて生きる」
「自分の分はもう終わったとして考えてみる」
そう思うとぐっと楽になれる。

え?楽に?
そう、開放されるのだ。

どういうことかと言うと…

普段自分を悩ませている自分の肉体の衰えや思い通りではない見かけや、
いや、もっと、
怪我や病気ですら、怖くなくなる。

人間の肉体は柔らかい。
どんなに気を付けていても無傷で過ごし切ることはまず無理だ。
いつ、何時、怪我をして一生治らない傷を負うことになるかも知れない。
いつ、何時、病原菌に侵されて大病を患うかも知れない。
その時どうするかに人はいつも怯えて生きているのではないだろうか。

でも、この考え方なら
死の訪れなどは「役目を立派に果たせた」とこの世から認められたんだと思えて、達成感とともに迎えられる。

自分の肉体の状態を一番のテーマに掲げているうちは、肉体が損なわれることが怖くて怖くて仕方がないのだけど、こだわる所が
「誰かを幸せに出来るかどうか」
に変われば、自分が恐怖感から開放される。

困っている誰かを助けるのに見た目は関係無いからだ。

まあ、その心意気が純粋な愛情や優しさからではなく、結局は自分の為から出ているところが、利己的な私らしくて苦笑いしてしまうんだけど。

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プロフィール

瑠璃色

Author:瑠璃色
『あとひといきの会』の管理人
瑠璃色です。
重症寝たきりアトピーでした。
脱ステ脱プロ脱保湿継続中です。
現在は別のサイトで心理カウンセリング事務所を経営しています。

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