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容姿至上主義者だった


またしても前の記事からの繋がりです。

生き方が表れるいい笑顔は容姿の造作の良さに勝ると最近心底思えるようになりました。

しかしながら過去の私はそうではありませんでした。

これを書くのは人から嫌われたくない私としては非常に抵抗がありますが、私という人間はなんと、“容姿至上主義者”だったのです。

「世の中そうではない」
「大事なのは見た目じゃない」
と思おうとあれこれあがきつつも、根深い部分では容姿というもの、しかもお化粧やファッションなどによって作られたものではなく、純粋に持って生まれた骨格などの“造作”を再重要視していました。
それは何か本能的な要求のような感じでした。
頭で制御出来ない力を感じていました。

これは前々から書きたいと思っていたのですが、うまく表現出来る自信が無くて後回しになっていました。

そう、
私は美的なことにとても煩い性格でした。
多分ちょっと病的なくらいに。

美しい人が大好きで、世界中の美形の画像なんかを集めるような所もありました。
幼い頃から絵を描くのも好きでしたが、人の顔を描くことが圧倒的に多かったです。

もうお解りかと思いますが、こんな私ですから、そうなんです。
アトピーの苦みにこの要素は大きくのしかかってくるのです、当然のことながら。

こういう拘りがあると、元々美的要素に煩くない人に比べて苦しみの度合いは格段に跳ね上がるでしょう。

見た目に煩い自分が見た目のことで苦しみが増えるのは自業自得としか言いようがありませんよね。
非常に痛い所ではありますが。

だから私が容姿のことで苦しむのは、何か運命的な必然性というか、この世の理から与えられた意味のある試練の様な気がしてしまうのです。

他の人のことは勿論解りませんが、私に関してはこの病やそれにまつわる苦しみには宿命的な意味を感じてしまいます。

あ、勿論、それで全て割り切れるわけでは無く、薬のことなどでは「使うのが当然」と押し付けてきたものに対しては恨みはあります。
でも、一方ではそういう一面も感じるということなんです。

ですから、こんな私が容姿の“造作”ではなく、日頃の努力から生まれた動作である“表情”を重視するように変化したというのは病気から得た「怪我の功名」のような気がして、とても貴重な宝物を得たような思いがしてしまうのです。

前回記事の「病気も財産」の一例です。

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プロフィール

瑠璃色

Author:瑠璃色
『あとひといきの会』の管理人
瑠璃色です。
重症寝たきりアトピーでした。
脱ステ脱プロ脱保湿継続中です。
現在は別のサイトで心理カウンセリング事務所を経営しています。

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