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もうひとつの派生

「生きろ生きろ」の記事 命あるものは既に… から続くもうひとつの道を書き進めます。

生き物は全て、

生きるように力づけられている。
励まされている。
それぞれが生きたい方向に進める様に…

そういう風に考えることも出来ます。
最近そう思うようになったんですけどね。

で、そういう風に考えてみると

これは“とても愛されている”ということになりますよね。

例えば、誰かが誰かを愛する時、

「その人が心底望むように進んでいければいいな」

という気持ちになるのではないかと思うんです。
それが愛だと思うんです。

愛というものを説明する時よく使われる言葉

“大切に思う”

は勿論愛なんだけど、ちょっと分りづらいんです。意味が広すぎて。
大切にって何?って。
大切にって具体的にどうすることなんだろう?って。
大切に思ってしてあげたことが相手には迷惑になることもあるかもしれません。

「それならば」と、相手が望むことをしてあげるのもいいけど、
それだとそれをしてあげたということでおしまいですよね。
それに場合によってはしてあげられないかも知れない。
したくても出来ない人も居るかもしれない。
何らかの事情で身体を動かすことが出来ない人は何もしてあげられないから愛は無いんでしょうか?
違うと思います。
相手が望むようになればいいと思う気持ちがあるならそれは愛だと思います。
そして、何かをしてあげて終わるより、相手が望むことを相手自身が自分で叶えられるように成長出来るならもっといい。
そうなるように思いをめぐらすことも願いを心に抱くことも愛といっていいように思います。

しかもちょっとした思い付きが叶うのではなく、“心底”望んだことが叶うこと、
そして、その相手が常に目標に進み続けられること、
これを望むのが深い愛なんじゃないかと思います。

だから、愛を突き詰めていくと

“その人が心底望むように進んでいければいいな”

という心境に行き着くのではないかと思ったんです。

だから、
それを常にして貰えている生きとし生けるものは全て、命の与え主から物凄く愛されています。

どんな状況下に居る人も。
例えば苦しい病の人も、酷い境遇にある人も、孤独感や不安感や恐怖感に苦しんでいる人も、

自分は誰からも愛されていないと思っている人も…常に常に…です。

そのエネルギーが途絶えているなら既に生きてはいないからです。

例えば、酸素を与えられているし生きられる気温の中に置かれているし、湿度も保たれているし
重力が適度だし…
そういう数限りない色々な環境の下に置かれていることも全て含めてです。

これはひとつの考え方ですけど、
苦しい孤独な戦いの中で希望を失いそうになっている時、あたたかい支えを感じられる気持ちのいい捉え方ではないでしょうか。


私は当時(体調がひどかった時)、“生きろ”と圧力を掛けられるのが嫌でした。

苦しくて仕方がなくてラクになりたかったから、「生きろ!なに甘えてるんだ!」みたいな圧力を感じてしまうと、もっと苦しめと言われているような気になって怒りすら湧きました。

でも…
その時はそれでいいんです。
仕方が無いんです。
その気持ちは必然なんです。

でも、違う状態になるとまた違った気持ちになれるんです。
というか、自然にそうなれてしまっているんです。
その時その時で、人は自分に必要な物をちゃんと選んで生きているんです。

そういうものだと思います。

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プロフィール

瑠璃色

Author:瑠璃色
『あとひといきの会』の管理人
瑠璃色です。
重症寝たきりアトピーでした。
脱ステ脱プロ脱保湿継続中です。
現在は別のサイトで心理カウンセリング事務所を経営しています。

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