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支えになるものを求めて…

若い頃は架空の恋人に心の軸を求めていました。
まだ出会っていない未知の人に理想を重ねていたのです。
(いやはや、とんだお笑い種です。どっぷりと依存体質だったのですねー)

子供の頃は“自分だけの神様”という存在を思って毎晩自分流にお祈りをしていました。

年をとった今、自分が心底信じるべき支えは自分だけだと思っています。…頭では。

そう、頭と実感は別なんですね。

自分でなんとかするしかない
それは真理だと思うんですが、時に耐えられないほど重く感じることがあるんですよ。
頑張るのに疲れた時なんかは。
あとは人間一人の力ではどうにもならない事などを考えた場合は。

子供の頃から何かに依存する傾向だったので、やはり頼れる何かがほしくなるんですかね。
私だからというわけでなく多くの人がそうなのかも知れませんが。

それも絶対に揺らがない強いもので。

日本人は宗教と関わりが薄い人種ですよね。
生活の中に宗教が溶け込んでいません。
(信仰心に厚い特別な方達は別ですよ。大多数の人達のことを言っています)
結婚式やお葬式、お正月とかお盆とか、そういう特定の行事の時だけは宗教と関わるのですが、それ以外は普段あまり意識しない方が多いのだと思います。
だから、他の宗派なのにイベントとして、クリスマスを祝ったり教会式の結婚式をしたりします。

特定の宗派を重んじ、それに従わなければならないことは窮屈そうで、日本人でよかったとずっと思っていました。
お寺や神社の厳かな感じも好きですし、クリスマスの雰囲気も好きですし。

確かに縛りはないです。
その点は気楽だと言えるでしょう。
でも心の奥のほうは…
何か絶対的な支えが無い心は不安定なんだと思い至りました。

心の安定のためには窮屈なくらいの縛りも必要なのかも知れません。
宗教心が強いのは不安定な人間の心理として理に適っているのかも知れません。

でも既存の団体に属すのは嫌でした。
とすれば、自分で持つしかないんですね。

それが、私の場合、“この世の理”でした。

その前は、“母なるもの”とか“心の中の老賢者”だとか宇宙とか、色々イメージを変えてみたのですが、あまり完全に定着はしませんでした。
子供の頃の様に擬人化した“神様”のような存在をイメージするのは嫌でした。
人の様な存在を絶対的に崇拝することがある時期から嫌になったのです。
でもぼんやりした抽象的なイメージだけでも駄目なようでした。

もっと科学的な要素もないとドシンと心に納得しないというか…

この世の理がいいのは物理法則みたいなものでもあるからです。
(と、自分でイメージしただけのことですが;)

物が重力で下に落ちるように、
自然が循環しているように、
生き物が生命を吹き込まれたように、

宇宙も含んだこの世界の法則全てをイメージの中に盛り込んでみたのです。

何か不測の事態が起こった時、

物事が起こるのはこの世の理だから仕方が無い。
必然があってそうなるようになっているのだから。

…という風に考えるのです。

この世を司る全てのもの、そういう絶対的な存在を強く信じて心を寄り添わせれば、苦しい時でも精神を保てるような気がしたのです。

そして最近はまたここに新しいイメージを投入したりしています。

長いので一旦切ります。

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プロフィール

瑠璃色

Author:瑠璃色
『あとひといきの会』の管理人
瑠璃色です。
重症寝たきりアトピーでした。
脱ステ脱プロ脱保湿継続中です。
現在は別のサイトで心理カウンセリング事務所を経営しています。

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