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“与える愛”の続き

いいです。

前回の記事の“与える愛”のこと、どうやら“当たり”みたいです。
長い間の呪縛から開放されたみたいで世界がどんどん変わって見えてきます。
同じ風景ですら輝き出すような感じ。

そうか…これだったのか

という感じです。


でも、ちょっと客観的に見てみたら、また補足説明をしておかなければと思い当たりました。

“与える愛”なんて大袈裟な言葉を使うと、ちょっと訝しいですよね。
壮大過ぎてしまう様な…

イメージとしてはもっと簡単なことなんです。

アガペーは“無償の愛”とも言われますが
私はこの言葉がずっと嫌でした。

なんだか嘘くさくて…

そんなもの有るわけない

と、反感を持っていましたから。

愛したら愛されたいに決まってる。
誰だって人から愛されたいものなのだ。

…と、そんな風に。

でも、そうではなかったんです。
捉え方が違っていた。

無償の愛はわざと与えようとするものではなかったんです。
自然に感じてしまうことで
意識して頑張って作り出すものではなかった。

私はここを違って受け取っていたのです。

愛は別に与えなきゃいけないものではなくて、
強制されるようなものではなくて、

勝手に湧き起こってくるものだったのです。

心地いいから感じても構いませんよ
どうぞご自由に

というようなもの。

持ちましょう
持たなきゃ人間として劣っています
自己犠牲の精神で献身的な愛を捧げましょう

みたいに、強制されているかの様な印象を持っていたから不快に感じていたのです。

でもそうではなくて、普段自分が感じる

可愛いな
愛おしいな
素晴らしいな
よくしてあげたいな
これこれ、この感じ


の様な好ましい感情全てが愛なんです。
そう思ったら簡単なことだったんです。
別に自分を犠牲にするほど深い強い愛情でなければならないなんて決まりはなかったのです。

なあんだ、自分はそのままでよかったんじゃん
充分愛情深い人間だったんじゃないか

…という安堵感。

そして、この好ましい感情は持つ側にとって気持ちのいいことだったんです。

この感情を持たれる側ではなくです。

持たれる側だって気持ちはいいのでしょうけど、持つ側のほうが断然幸福感を得られます。

だから、
貰うことを考えるのではなく
与えることを考えよう

ということだったんだ…
と、私は解釈して納得しました。

「愛は求めるより与えなさい」

というのは

「その方が幸せに近づけるからやってごらん、気分いいよー」

という思い遣りからきたアドバイスだったとも受け取れます。

思えば被害妄想でした。
嫌なこと難しいことを世の中から強制されているような錯覚をしていました。
そんなことが重なれば世の中がどんどん嫌いになってしまいます。
でも誰も強制なんかしていなかった。
私が勝手にそう思い込んでいただけだったんです。

普通の人はそもそもこんな錯覚をしたりしないから苦しまないんだろうなあ…
と思ったら自分が馬鹿でしょうがないとも思いますけど
こういう思い込みって気付かないうちにあるんですよね。
そして当たり前だと思っているから抜け出すことも出来ない。
だからこういうことに気付けるのはありがたいチャンスなんですね。

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プロフィール

瑠璃色

Author:瑠璃色
『あとひといきの会』の管理人
瑠璃色です。
重症寝たきりアトピーでした。
脱ステ脱プロ脱保湿継続中です。
現在は別のサイトで心理カウンセリング事務所を経営しています。

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