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与える愛、アガペーについて

昨日一日、時間が空くと考えていたテーマは

“与える愛、アガペー”

についてでした。

またいつもの癖でバカなことを思いついちゃったよ、この人は…的な展開でスミマセン(;▽;)


その流れをお話しします。

私は子供の頃からずっと、愛情に飢えた飢餓難民でした。
息苦しい程飢えて飢えて飢えまくっていました。
息が出来ない程に水面であっぷあっぷしている様な状態でした。
だから、人に嫌われる様なことなどは怖ろしくて怖ろしくて仕方がなくて、いつもひとからどう思われるかを気にして神経質になり過ぎていました。
病気がひどくなってからはそれが顕著でした。
心のバランスを崩していたと思います。
そして例えば相手が実際はどう思っているかどうかも分からないのに、勝手に
「もしかしたら嫌がられているかもしれない…」などと感じて遠ざかったり、厚い壁を作ってしまったり。
却って人から嫌がられるようなことを結果的にしてしまっていたと思います。

でもふと、

“愛は自らが作り出すもの”

という認識に変えたらいいのでは?と閃きました。
これはよく耳にする「愛は求めれば求める程手に入りにくくなる」という言葉が、何故か今回突然キッカケとなったのです。
今までは「そうかもね」とは思いつつ特にずしっと響くこともなく素通りしていた言葉だったのに…です。


“愛は人からもらうもの”

と思っているからこんなに苦しむのではないだろうか…と思い当たったのです。
“愛がほしい”と思えば思うほど“愛がここに無い”という意識を何度も繰り返し繰り返し自分の心に打ちつけ続けていることにもなります。
しかも、貰いたいと思えば思うほど欲求はエスカレートもするでしょうし、
沢山貰っていても少しでも不足感を感じてしまえば相手を恨めしく思ったりしてしまうかも知れません。
完全に満たされることは難しそうです。

もともと“愛は作り出す側にしか存在しない”と思えば、腹もくくれるかも知れません…

いっそのこと、他者からの愛を求めるのを一切やめてみたらどうだろう?

ちょっと極端なくらいに
“愛は自分の心が作り出すしかないもの”と思ってみる…というのはどうだろう?

そんなことをまた私のいつもの馬鹿な癖で思いついてみました。

愛を知るということは、
自分の心の中で他者に対して 愛する気持ちを感じること だけなのだ
…と思ってみようと。

そうすればもう誰の態度や言動に左右されなくて済むし、
嫌われるかもしれないことを怖れてこまごま気に病まなくてもよくなるかもしれません。

真の“自由”になれる!


そして、実際その気持ちを意識して過ごしてみました。

そうしたら…

なんか楽になった気がしました。
良さそうなので、これをちょっと続けてみようと思います。


補足:

実際に、
他者の気持ちは確実にはわかりません。
どんなに信頼出来る人であったとしても…です。

かなりいいセンいった推測であっても、ゆきつく先は
「多分そうだろうな」とか「そうであってほしい」という想像でしかないのです。
しかも永遠に変わらないものでもありません、残念なことですが。

解らないものを自分の心の支えとするのはあやういことです。
いつ崩れるか解らないからです。
でも確実に解ることを軸にすればその危険は避けられます。

では確実に解ることは何か?

自分の気持ちです。
(自分の気持ちでさえも解りにくくなることはありますが、他の事との比較です)

自分の気持ちを頼りにしたほうがより安全なのです。

だから、最初から“愛は自分の心からだけ発するもの”と割り切ったほうが、手に入れられない飢餓感も、崩れる心配もせずに済むのです。

こう聞くと無味乾燥でちょっと言葉遊び的に感じられるかもしれませんが、
長年悩んだ結果出てきた発想なのでそんなに安易な思い付きではありません。
苦しみや治らない癖を直すきっかけになりそうな気がしています。

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プロフィール

瑠璃色

Author:瑠璃色
『あとひといきの会』の管理人
瑠璃色です。
重症寝たきりアトピーでした。
脱ステ脱プロ脱保湿継続中です。
現在は別のサイトで心理カウンセリング事務所を経営しています。

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