Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

とうとう見付けた恐怖信仰

今日長年探していた魔物をとうとう見付けてしまった

あくま

私の心の奥に棲みついていたもの

これをなんとかしなければいけない

なんとかすることが出来れば生き方がガラリと変わるかも知れない

というか

何とかしないと命が危ないかもしれない

2011.6/17


追記(2011.6/18 8:00)

まず

人の原動力は何か

という所から話したいと思います。
ちょっと心理テスト的に、「自分はどうか?」と考えてみてください。

過去

何が自分を動かしているのか?

どんな気持ちが自分を行動させているのか?

全ての行動の源です。

普段、色々な物事はそれぞれ沢山の理由やモチベーションから成り立っていると思います。

ところが、それをどんどん遡っていくとひとつの軸に辿り着きます。

私が見付けたと言ったのは、実はこれのことだったのです。

自分の様々な問題点を集めてそれぞれ改善の仕方を探っていました。

すると昨日、その源が全て同じ所から出ていることに気付いたのです。

例えばサスペンスドラマで
幾つかの事件が並行して起こり、それらを別々に探っていくとひとつの秘密に行き着くという様なイメージでしょうか。(乏しい例えで恐縮ですが;)

私はこれ迄ずっと自分のトラブルの原因をそれぞれ個別に探ってきていたのですが、ひとつのものから派生していることを見付けたのです。

それは 恐怖心 だったのです。

「な~んだ、そんなことか」

と、ガッカリさせてしまったかも知れませんが、これはちょっとすごいです。
言葉で書くと単純なひとことですが、よく考えるとそうでもないのです。

どういうことかというと、
そもそも普段自分の行動全てがひとつの源泉から出ていることに人はあまり気付かないと思うのです。

私も自分なりに結構考えている方だとは思っていましたが、そういう風には気付きませんでした。

でも解ってしまった今なら思い当たることが沢山あります。
例えば、
自分で決めたおまじないを小さい頃からやっていました。
何か良くないことが起こるのを避ける為です。

物が捨てられないのも不安感からです。

人に必要以上に愛想がいいのも恐怖感からです。

「礼儀正しくしなければ」という強迫観念があった様です。

子供の世話をしていても子供が怪我をするかも知れないことが恐ろしくて恐ろしくて仕方がないのです。

日頃からイライラして怒ってばかりいるのもそうです。

その他挙げればキリがありません。
なにしろ全てが同じ所から出ているのですから。

それが何故命に関わる程危険なのか?

そういう風に生きていると非常に生き難いからです。
生きることそのものが恐怖の連続で、それを避ける為にまるで魔物に追いかけられるかのように走り続けなければならないからです。

これではとても疲れてしまいます。

常に恐怖感を感じ続けるのは生き物の生体維持の面からも良くありません。
これを続けていれば病気にもなるかもしれないし、寿命も縮むかも知れません。

人は多かれ少なかれみんな「怖がり」な部分は持っています。
でも、程度が重要なのです。

例えば人からはすごく恵まれていると思われる人が自殺してしまったとします。
原因は傍から見れば「そんなことぐらいで?」と思われる様な些細なことだったとします。
それは何故か?
その人の心のキャパシティが普通の人より小さかったから、受ける心のレンジが狭くちょっとの振り幅が許容範囲を簡単に飛び越えてしまうからです。
つまり恐怖感を覚える程度の違いで苦痛は何倍にも跳ね上がるということです。

この程度はちょっと計ることが出来ません。
超主観です。
「クオリア」と呼ばれたりもします。
だから当人がどれ程の苦しみを感じているか他の人には完全には理解出来ません。

だから自分でそれに気付いて対処しなければならないのです。

もしかしたら人は、何故自分が消耗するかにすら一生気付かないことが多いのかも知れません。


更に追記(2011.6/18)

見付けたばかりの考え方を言葉にするのは難しいです。

本来はもっと練ってから表現も選んで書けばいいのですが
ちょっと焦っているのかもしれません。
生きているうちに残しておきたくて。
(別に死ぬ予定があるわけではありませんが)

太陽

自分の軸になっているものが“恐怖心”だということ
これは例えば
宗教などの信仰に厚い国があるとします。
その人達の軸は信仰心です。
最初からこう書けばもっと解り易かったですね。

つまり、私は恐怖信仰ということになります。
(こう書いてしまうとちょっとニュアンスが違うんですが解り易さのためには仕方ありません)
自分の信仰が恐怖だなんてやっぱり嫌ですよね。
折角命を貰ったのに生きるのが楽しくないことになってしまう。
勿論、恐怖も身を守るためには大事な要素ですが、それに捕らわれ過ぎると身体にも心にも害が出てきます。

希望の光になるような明るいものが軸だと理想的だとは思うのですが、そう簡単ではないようです。
前に自分の中に“太陽”(太陽のようなイメージ)を設定してみたこともあるのです。
記事 不快CMとそれぞれの都合 でちょっと触れています。

でも気付かずに軸にしてきた様な歴史のある深いものには太刀打ちできません。
時間が掛かると思います。
意識しないよりはマシなんでしょうけど。


 
スポンサーサイト

Appendix

プロフィール

瑠璃色

Author:瑠璃色
『あとひといきの会』の管理人
瑠璃色です。
重症寝たきりアトピーでした。
脱ステ脱プロ脱保湿継続中です。
現在は別のサイトで心理カウンセリング事務所を経営しています。

※ 当サイト内の全ての動画、画像、文章は無断転用禁止となっております。

カテゴリ

Twitter

検索フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。