Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

心の癖、実験報告

前々回の記事で触れた実験について報告です。

振り返ってみると、実験とは言っても、実際にやった内容そのものより、その前に気付いたことの方が重要だったかも知れません。

それは…

普段何気無くやっている“心の癖”のことなんです。

例えば
朝、目覚めた時
数秒間はまだ現実を忘れてぼぉーっとしていますが
そのあとすぐに、自分の置かれている現実を思い出します。
そして、また今日も繰り返しやらなければならない事などが次々と思い出されてきます。
その結果、起きるのが嫌で嫌で仕方がなくなるのです。

その時ふと思いたったのです!
この時、マイナスのイメージも一緒にしているのではないか?と。
(※ 体調が酷い時は勿論例外です。起きた瞬間から身体中が辛くてそれどころではないですからね)

今までこれを、自然な心の動きで、故意にやっていることだとは思っていなかったのですが、
「これを止めるってことも有りなのでは?」
と思ったのです。

「もしや、自分自身で自分に送っている負のイメージなのでは?」とも。

そこで、
「もしこれをやめられるんだとしたらどうだろう」
と思いたったのです。

とは言っても、長年癖になっていて、意識していないことなので、直すのはとても難しそうです。
暫く、その事について考えていました。

その後、子供にご飯を食べさせながらTVで子供のおもちゃの動画を見ていました。
するとその動画のBGMが流れてきました。
カッコいいリズム感のある曲で、若い頃はこういう曲に未来の自分を重ねていたことを思い出しました。
「もう少し経てばこの曲のイメージに合う自分に成れている、だから今はイマイチでもその時に期待しよう」と。

そしてあれから年を重ねた今は…
もう完全に過去のものとなっていました。

「昔はこんな雰囲気を夢見れる時もあったのか、今となってはもう無理だなあ」と。

思えば私は若い頃、いつも“未来”を見ていました。
そして今、今度は過去を振り返ってばかりいる。
それでは、いつになったら“今”を見れるのだろう。

こんな大きなスパンでなくても日常の小さな事でも、やはり今を疎かにしていました。

子供のオムツを替えながら
荒れて湿疹や傷のある手が痛いので
「ここを乗り切れば」
「今さえ我慢すれば後で休める」

洗濯物を干しながら汗が出てきて痛痒くなると
「ここを乗り切れば…」

今を嫌っている事が多かったのです。
これでは今が可哀想。
生きているのは、本当は“今この瞬間”だけなのに。
未来にも過去にも、思いは馳せられてもそこで“生きる”という事は出来ないのに。

だから、“今、この瞬間”に心の
焦点を当ててみようと思いました。

とは言ってもなかなか今に心は定まりません。
「やったつもり」になっているだけで、いまひとつ「本当に心がここに来ている!」という感じがしない。
そこで、
その音楽に乗ってみることにしたのです。
若い頃、ダンス(とは言っても自己流ですけど)が好きだったので。
まず、その曲の中に入り込んでみて、(これはイメージングなのでちょっと伝わりにくいと思うのですが、自分がその曲を歌ってステージに居ると想像するといいのかもしれません)
実際にリズムに合わせて身体も動かしてみます。(くだらなくて済みません;)
そうしたら、出来たのです!

“今、ここ”が、自分の心とピッタリ重なったのです。

自分の“今(この瞬間)”とピッタリ重なることが何故、自己肯定に繋がるかと言うことに今一度触れておかなければならないですね。

まず、
未来ばかりを見ていると言うことは、今を否定していることになります。
「今、この瞬間は嫌だ」ってことです。
「この時が早く過ぎ去ってほしい」と思っているってことです。
少なくとも最近の私はしょっちゅうこれでした。

次に過去ばかり見ているのも同じで「昔はよかった」と思うことは「今はよくない」と思っていることになります。

これがたまにならそう問題にはならないのでしょうが、
「しょっちゅう」さらには「いつも」となってくると、
それは心に常に継続して負のイメージ(つまり自己否定と言うことです)を送り続けることになるので良くない様に思うのです。
ところが、癖になっているとそれに気付かないままで
「なんだか理由はわからないけど、いつも嫌なイメージの中に生きている感じがする」
「生きるのってなんか物凄く辛い」
ということになると思います。
私はまさにそれだったと思うのです。

好きな音楽を聴いてリズムに乗る…
そんなことは普通、誰もが当たり前にやっていることでしょう。
私も勿論そうでした。
ただ今回違うのは、それを
「自己否定を止める為に、“今”を強く意識する為に実験としてやってみる」
と言うことです。

同じ事でも取り組む考え方が変わると違う結果がもたらされる事があると思うのです。
実際、音楽に乗っていくまでの過程で今までとは違う発見がありました。
ただリズムを取るだけでなく、その曲の雰囲気を今この瞬間の自分が身に纏い味わっているという感覚。
うーん、言葉で説明するとなんかありきたりで面白くないですね。
「ああ、これなんだけどなあ、伝わってないだろうなあ」というもどかしさが残ります。
でも、文章表現が巧みでない私なのでまあこんなもんでしょうね。
…いや!諦めちゃ駄目だ。
これこそまた今を否定してることになる。
こういう風だから駄目なのかも知れない。
今回はいい機会だから、もうちょっとよく思い出してみよう。(急に独り語りで済みません)

ええと、あの時、子供にご飯を食べさせながら、あの音楽を聴いて…
曲の雰囲気を…そう、自分のものにした感覚!
これは今の私だという感覚。
今、まさに、自分の人生という映画の重要なワンシーンでここが人生の頂点なんだという感覚。

そうそう、韓国のドラマの「ベートーベンウィルス」のファンタジアの演奏で、広大な自然の中で風に吹かれている場面の様な感覚。
(見てない人にはわからない例えですよね、済みません。
クラッシックのオーケストラで美しい曲を大自然のイメージを感じながら演奏するという場面があるのです。
それがとても気持ちのいい場面なのです)

その時、今と言うものを掴む事にひらめいた様な気がしたのです。
これから朝起きる時、
「今日もまた辛い一日が始まる」→「嫌だな」「つらいな」…と思わないでみようと。
不快なイメージの増殖を止めてみようと。
先の苦労の為に折角の今を台無しにしないでみる。
今は、この柔らかい布団の感覚だけを味わおう…と。

今この瞬間の心地だけを味わう。
後でやらなければならないことは今この瞬間だけは考えない様にしてみよう。

そう思うと、気分が晴れ晴れとしたのです。
同時に身体も動かしてみたのが良かったのかも知れませんが。

そのあとも、普通ならぐったり疲れて動けなくなってしまう所で「もうひと頑張り」と思えたり、その「もうひと頑張り」が出来たお陰で日頃の不便な生活が楽になったりして相乗効果が幾つか重なって、ちょっとマシに感じられたのです。

さてこの実験報告はこれでひと区切りとなりますが、
最初、この一連のことを短く簡潔に説明するのは難しそうだと感じていました。
しかも面倒そうだと思っていました。
なので、
「どうせ誰も楽しみになんてしていないこんなブログ、報告なんてしても意味無いだろう」
と、そのまま風化しそうになっていました。
でも!今回とてもありがたいことに「知りたい」と書いてくださった人がいてくれたのです。
私は結構「待ってくれている人がいる」と思うと奮起する傾向が強くて、今回は良い機会と、つたない文章なのに長々と書かせてもらうことにしました。(読みにくいし解りづらかったことでしょう;)
そうしたら忘れていたことも思い出せました。
このチャンスを頂けたこと、とても感謝しています。
どうもありがとうございます。
そして、他にも読んでくれた方がいたらその方にもありがとうを伝えたいです。
スポンサーサイト

Appendix

プロフィール

瑠璃色

Author:瑠璃色
『あとひといきの会』の管理人
瑠璃色です。
重症寝たきりアトピーでした。
脱ステ脱プロ脱保湿継続中です。
現在は別のサイトで心理カウンセリング事務所を経営しています。

※ 当サイト内の全ての動画、画像、文章は無断転用禁止となっております。

カテゴリ

Twitter

検索フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。