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こちら、しばらく


こちらのブログは、しばらく更新はしなくなります。

★現在、活動の場の中心はこちらになっています。

http://cotoyume.blog.fc2.com

Twitterでの @cotoyume1

(2017.3/18追記)


 

脱プロは大変


脱プロは大変だ
脱ステの何倍も
年月も想像以上にかかる
やってみて知った

回復力が圧倒的に失われている

断薬後のリバウンド、最初の山だけでは終わらない
はじめに来るとも限らない
大きな変化が無く拍子抜けするかも知れない

でも
いつ、どれだけ大きな山が来るかがわからない

身体が変わってしまうから

人生観も変わった
変わらざるを得なかった

それでもね
プロを塗り続けていた時よりは遥かにマシ
(自分にとっては、だよ、人によって違うからね)
その事だけは確かだ

だから頑張る

時に辛くて、くじけそうになるけど

信じて進むしか、道は残っていないから

色んな変性の時を乗り越え、未来へ希望をつなぐ

絶望より光を見るって決めた

 

え?そうだったっけ?


2012.3/19 今から5年前の記事です。

「治った」と、言っていいくらいだ

と書いています。

   え?そうだったっけ?

そんなにいい時期ってあったんだっけ?
しかも5年も前に

ずっと、スッキリしない状態で、たまにちょっとマシな時もある
くらいの認識ですけど。

多分その直前の悪化との比較なんでしょうね。
酷い時を抜けると、とても楽になったと感じるから

でも、昔の様に完全に普通の人と同じぐらいの状態まで戻れたわけではないのです。

この5年前の私は、その事をどれくらい把握しているのか
正確に把握する事を避けているのか

「治った」と言いたかった
言って安心したかった

そういう事だと思います。

2017.2/20

***・・・***・・・***・・・***・・

2012.3/19

前回の食の実験の失敗から復活しました。

最近、明け方や朝起きたばかりの時は
普通の肌になっています。
もちろん小皺は沢山あるけどね;

でも痒みも無いし赤みも無い

これは私が長年望み続けてきた状態

ここらで一区切りで

「治った」

と言ってもいいような気さえしてしまうのです。

とはいっても、まだ突然部分的にすごく痒くなったり、ガサガサしたりするところはある。

だからまだもう少しこの言葉は使えないのかな…

とも思う。

それでも

確実に一段階、別の世界に入った

という感はある。

自分が長年こだわっていた価値観からも開放されかけている。
これも私には治るための必要条件だったのかも知れないな…
と思う。

治るためには色々なものが必要だ。
少なくとも自分にはそうだったと感じる。

まずは自分なりの治療法の確立
様々な気付き
そして最後に時間

そして全てが満ちればそれは訪れる

…そういうことなのかも知れない
そう思う。

勿論体質は変わらないし、何かあれば調子はすぐ変わる。
不安定であることは間違いない。

でも、

ここまで来たよ

という感覚が確かにある。

まだタイトルの
「私のアトピーは治った」
という言葉は早いのかも知れないけど
近々使えそうな気がしています。

そんな予感を残しておきたくなりました。

“身体が赤字”


2011.7/5に書いた記事です。

再投稿します。(2017.2/17)

***・・・***・・・***・・・***・・

 今回は何の事かは敢えて書かない。
人に勧められる事ではないから。
真似をされても困る。
もしそれで失敗しても責任が取れないからだ。
でも、判る人には判るだろう。

自分で決意して頑張った人と共感できさえすれば、それでいいと思っている。


今、当時を振り返る。

あの頃、こう感じていた。

   「身体が赤字だなぁ…」

アトピーそのものの状態もそうだけど
それ以外の所でもどんどん弱っていくし
おかしな所がどんどん増えて来るなぁ…と。

このままいけば、自分はどうなってしまうのだろう

  …………

やっぱり、また“あれ”を経験しなおさなきゃいけないのか…

命掛けの地獄のあれを

物凄く大変だ

思い出すのも恐ろしい

でも、それでも…

  「やるしかない」と感じていた

いや、本当は大分前から決めていたのだと思う。

「いつかは必ず」と。

今度こそは絶対に失敗出来ない

準備をすることにした。

一年ぐらい掛けて計画した。

情報も集めまくった。

そして準備は整った

   決行

グジャグジャな時期、ガサガサな時期、ボロボロな時期、真っ赤な時期…
その繰り返し。
これを何度も何度も乗り越えてきた。

こうして8年頑張った。

今思うと、

 よくやった

と思う。
これに関しては自分を誇りに思ってる。
確かな自信が付いた。

世の中の理解の無さにはどれほど泣かされたことか。
どんなに悔しい思いを乗り越えてきたか…

人から本当に理解されるということは、とても難しいことなのだと知った。
人生は孤独な戦いなのだと言うことも思い知った。

生きることは命がけだということも、この身体と心で感じ取った。

これをバカだと嘲笑う者もいるだろう

それでもやっぱり

信念を貫いてここまで来れて、本当に良かったと思っている

この今の自分を、

戦を終えて傷だらけになって帰ってきた荒武者の様に感じている。

aramusha2.gif


でも、私はそんな自分が好きなんだ。


シワという人生の勲章


2011.2/17 の記事

丁度、今日は2017.2/17
まる6年前だ

★コメントを付けていきます。

***・・・***・・・***・・・***・・

年齢と美しさの関係のことを最近のテーマとして考えたのは
アトピーや薬の後遺症によって出来たシワのことを考えていたからだった。

早くシワを薄くしたい
シワをとにかく消したい
このシワはいつになったら消えるんだろう

そんなことばかり考えていた。

たまに会った身内から、身内ならではの気安さからだろうが、シワのことを軽く指摘されたりもした。

(★この時は年上のおじさんからで
「年齢の割にシワが多いかな〜」ですって。
久々に会って、顔を見るなり。余計な事を言ってくれるものだ。
でもそれが正直な感想だったのでしょうね)

そうするとまた思い出して深く悩んだりして…

でも待てよと

シワを嫌う考え方は
年齢を重ねることを否定していることにならないか?と思い始めた。

(★そうなってしまうんだよね)

そりゃあこの年齢には合わない不自然なシワが不快で無い筈はない。

でも
シワはその人の戦ってきた勲章でもあるんだ。

醜いものとして嫌うのは違うのかなと

そう考えていたらシワについて色々な見方や考え方があることに気が付いたのだ。

単なる負け惜しみではなく、
ひとつのテーマに深い考えを持つことに楽しみを感じている。

そして本当に心から
その人の勲章でもあるシワを美しいと感じたいと思っているのだ。

★この時は、希望だけで終わっていた
でも今、私の知り合いに親世代(70代)の人がいる
この人はシワがステキだ
笑いじわだからだ
いい笑顔してる

シワは、シワ単体で見るものじゃないんだ

私のように、嫌だ嫌だと思いながら、恐る恐る鏡で確認していたら
いいシワになろう筈がない

気持ちがシワを嫌なものに変えてしまう

気持ちが大事

今はそう思う


当時、記事タイトルに「勲章」と入れた

勲章にするか、不快なもので終わらせるか

それは、自分自身の心構えに掛かっている

その気持ちの努力を含めて、勲章の位置まで引き上げられるってことなんだ

それが出来た時初めて、輝くんだ

 

大事なこと


2016.12/27の記事に書き足して投稿し直します。
最初に出したのは一ヶ月半前です。

2017.2/10


同じ失敗を何度も繰り返してはいけない

たったこれだけで、どれ程人生をロスしないで済むことか

余りに詰めが甘過ぎたと反省

「絶対に繰り返さない」という真剣さが足りなかったみたいだ

すぐ忘れて、ラクな方に流れる

これじゃあ、いつまで経っても変われない

「多少失敗しても、大したことじゃない」と思っていたんだと思う

「そんなにキチキチしても、息が詰まる(ストレスになる)」
「テキトーでOK」
「そのぐらい、よくあること」
「そのぐらい、気楽な方が上手くいく」

確かにそういう部分もあるだろう

でも、程度による、事柄にもよる

今、直したい事は何?
ここが肝心だ
具体的に見てみよう

絶対に繰り返したくない失敗とは何なのか

習慣は毎日の繰り返しだから、失敗すると痛手が大きい

しかも、より源流というか、基礎的なことの方が重要

習慣を見直そう

ずっと直したいと思っている習慣

その為に、自分の習慣をよく見詰めよう

自分の現状を知り尽くそう

そして、何故そうなっているのか、仕組みを知ろう

何故、その良くないと感じる習慣がやめられないのか

何故、身に付けたい習慣が習得出来ずにいるのか

もうこれ以上、同じ失敗は繰り返したくない

肝に命ずる前に、よく考えてみよう、分析しよう

どうしたら希望に近付けるのか

そうすれば、心に染み渡る

今度こそ変われる

気合い入れるだけじゃ、その時どんなに命じても何度でも失敗する

その事自体も“同じ失敗”の中の一つだ

人は、命令だけでは、変われない

どんなに強く言われても無理

失敗の大元を断つことが効く

 

自分の姿を恥じてはいけない


2016.12/23に追加修正したものに、またここで★を付け加えます。
2017.2/10


私、アトピーによる容姿の事で、気持ちを乱されるのは卒業しようと思います。

(★そう言い切って、スパッと出来たら苦労はしないんだよね
2017.2/10)

下にある6年前の記事を読んで思っています。

もう、いい年齢になったのだし

(★いやあ、歳は関係ないんだよね〜 2017.2/10)

周りを気にしてとか
過去のよかった時代を思い出してとか
今を嘆く材料にすることからは決別しようと思います。

(★そうね、嘆く材料に使うのは、自分にとってマイナスだね
2017.2/10)

私はですが、多分一生、完全に治ることは無いでしょう。

(★ …とは言い切れないと思っています
言い切りたくなんかないし! 2017.1/15)

最善を尽くし、計算してやってきたので、長い目で見れば悪くなることは無いでしょう。

(★この事が強い味方だよね 2017.2/10)

でも、期待しているような全くの普通人にはなれません。

(★ この時は長引き次々押し寄せる波に落ち込んでいたのでそう思ったのですが、
今は違うと思い直しています 2017.1/15)
(★悪化中の気分の落ち込みは特別だからね 2017.2/10)

この先もいい時と悪い時を繰り返すと思います。

(★でも、長い目で見ればラクになるから! 2017.2/10)

今迄は完全な普通肌の人になれる希望を持ち続けていました。

それが良いことだと思っていました。

でもかえってそれが、自分を苦しめることになっているとも言えます。

今の自分を否定してしまうからです。

(★これはその通りだ
今の自分のことも否定しないようにしよう
自分を恥じたりしたら絶対にいけない!
同様の悩みを持つ人達の為にも率先して強くならなくては!
今、そう思っている
つい先日、そう思わせてくれる事があったから
その時すごく悩んだ
でもその結果、気付けたから 2017.2/10)

否定した自分を人に見られるのは苦痛です。

そこで、発想を変えてみることにしました。

私はもう一生このままである

だから、この姿で出来ることを考える、です。

もっと言うと「この姿だから出来ること」です。

(★今のキャラを大事にするってことね
昔に戻ろうと思わないで、という 2017.2/10)

特に悪い事をした訳ではないのです。

この病気で恥じる事など無いのです。

恥じてしまうのは自分の心が狭いからです。

(★そう!恥じちゃいけない、絶対に 2017.2/10)

その肌には恥ではなく、必死に頑張ってきた証があるだけです。

自分が丈夫な肌の人達に近付くことを切望するのではなく

自分と同じ様に苦しんだ人に寄り添い、少しでも和らげる側にまわるのです。

その結果、自分も生き生きと生きられるようになる

そう言う風に切り替えようと思います。

(★この心がけはいい。でも、自分自身のことも諦めないようにしようよ。
生きている限り、頑張り続ければいいじゃん!2017.2/10)

自分にとっても世の中にとっても
何も良い事が出来なくて終わってしまったら
この人生が勿体無いと思います。
年を取ったと言う事でしょう。
でも、それが回りまわって自分の幸せに繋がると確信しています。


2016.12/23

***・・・***・・・***・・・***・・

2011.1/24

実は私、ちょっと冷静さを失ってました。

一昨日、久々にスーツを着て外出したのです。
いい天気で日差しが明るい日でした。
ショーウィンドーに自分の姿がバッチリ映りました。
顔のシワがクッキリ見えました。
ショックでした。

次の日テレビ電話のお試しを偶然うっかり触ってしまって、
なんの心の準備も無い状態でバッチリ至近距離でドアップを見てしまいました。
前の日のショックも覚めやらぬ中、今度はもっと大きなショックを受けました。
心臓に悪いです。

それからすごく落ち込み
精神的にかなり不安定でした。

ここ最近は調子が良くて
「かなり普通の人に近付けてるんじゃないか」
なんていい気になってすらいたのです。
それがやっぱり全然違うと気付かされると…
もう辛くて辛くて仕方がありませんでした。

でも
これは必ずいつか通らなければならない道だと思い直しました。
その時期が今なのだと。
進んでいれば必ず辛い時も訪れます。
少し冷静さを取り戻せました。

ずっと自分の顔を見ることを避けて生きる訳にもいかないですし、今後こういう事は増えてくると思うのです。

だから今それが来たという事なのでしょう。


追記(2011.1/25)

昨日の記事に引き続いて…

つらさには段階があるんだ
今は普通の人の世界に入る時には必ず越えなければならない壁の前にいるんだ
“壁”というと険しい障害の様に思ってしまうけど、
見方を変えると
「ここまで来れたんだ」
ってことでもあるんだよ

 

容姿を嗤うな


人の容姿を嘲笑う様な気持ちは、絶対に持ってはいけない

かなり重い、強い言葉だが、今日はハッキリと言いたい

今、世の中は商業主義で、物を売る事が優先である都合上、容姿を優先しがちだ

人の容姿を嗤うことに躊躇が無い場面にも出くわす

言われた人も、場の空気を保つ為に笑っているけど、内心はどうなんだろう

より綺麗に、より清潔に、よりお洒落に、もっと、もっと、もっと…

人より上の立場になって、優越感を得たいが為に

でも、これを何処まで進ませるつもりだ?

不当な差別を進ませることなのに

希望を持って自己向上の為に頑張ること自体は素敵なこと
芸術的な行為や工夫することは素晴らしい
でも!
努力でどうなるものでもない事情は考慮に入れていない

簡単に見下す

短絡的過ぎる

ここに関しては徹底すべきだ

教育の基礎として教えた方がいい

上っ面だけではなく、本音で

人間には、生き物には、色んな形がある
色がある、状態がある、段階もある
皆、それぞれに尊いのだ

私はそう結論付けた

負け惜しみだと思う人は居るだろう

でも、その人も差別される側にならないとは限らないのだ

今はそんな事、思いもしないだろうが

いつ、病気になるかもしれない
それは今迄に見たこともない奇病かもしれない
いつ、大事故に遭うかもしれない
事件の被害者になるかもしれない
抑圧された差別主義な社会で、正常ではなくなってしまっている人も増えているから
大災害に巻き込まれるかもしれない

自分だけは絶対に安全だと思い込んでいるのか?

何故そう言い切れる?

自分だけは特別だとでも思っているのか?

そうなった時、初めて知るのだ

私が今、書いていることの意味を

私も昔は知らない側の人間だった

自分が今の様になるとは思いもしなかった

そんな時期があったのだ

そんなお気楽な無知さにバチが当たったのかもしれない

過去の自分に伝えたい


人の容姿を安易に嗤うような人間になってはいけない
場に釣られたのだとしてもだ
そういう気持ち自体が駄目なのだ

人と違う人を見た時、相手の事情を思い計り、尊重する気持ちを持てる人が増えてほしい

それは結局、自分自身を救う事になるだろう

 

インド女性への思いと犯罪心理


終わろうと思ったのに、結局考えることが止まらなかった

前記事「ここ最近のテーマから

自分の中で答えが出ていないからだ

思えば、私は子供の頃から、平等とか人権問題に対して思いが強かった

考えたことを続けて載せることにする


インドで、女性をこんなにも酷い目に遭わせても許されるという考え方が広まっているのは何故か

色々調べて、歴史的背景(戦争や侵略や宗教など)はわかったが、それでもやっぱり不思議でならない
まだ納得出来ない

何故あんなにも恐ろしい事が起こってしまったのか

何故あんなにも酷い所業が出来てしまったのか

その心理というのは一体どんなものなのか

そして、どうしたらこんな事が起こらなくなるのか

そうだ、加害者の心理を知りたいのだ

心理の仕事をしている人間だからということもあるだろうが、私の元々の止められない気質だ


階級制度をより強固なものにするための都合として、
女性を忌まわしい悪しき存在と見傚して、抑え付けておかなければならないという考えが長く続いたという

でも本来、人間は異性に惹かれるもの

その本能との兼ね合いはどうなっているのか

慣習とはそれを飛び越えさせてしまう程、強いものなのか

男から見て女性は魅力的
(私の中の男性性・アニムスを動員してもそう感じる)
特にインドの女性達は美しく感じる
生きた宝物の様な存在だろうと思う

だから女性を見付けると放っておけずに関わろうとしてしまう
本能的には触りたいのだ

だが、性行した後、肉体を破壊するというのは、どういう心理か

ただ、自分も暴行を加えられながら、恋人を必死で守ろうとした男もいる
見付かれば酷い仕打ちを受けると知りながら駆け落ちする恋人達もいるらしい

つまり、全ての男が奇行に走るわけではないのだ

よく考えてみれば、ほとんどは常識的な人間なのだろう

凶悪な犯罪は一部の者によるものということになる


いい例えではないが、庭の草取りの時のことを思い出してみよう

お尻にハサミのあるムカデの様な虫がいた
怖いと思った
胴体を真っ二つにした

虫は殺してもいい存在だと信じ込んできた

罪悪感も強くない
(でも、こうしてずっと忘れていないのは罪悪感が残っているからだ)

もし、ハサミで攻撃してきたら
もっと酷い殺し方をしたかもしれない

それに似たことなのかな

あのムカデがとても美しい珍しい形だったら
手に入れたいと思うのだろう

女性は男から見て美しい
女性の数が極端に少ない世界では尚更そう思えるだろう
インドはその社会構造により、女性が少ない
女性は男から見たら欲しい宝物なんだ

でも、手に入れた後のケアまでは出来ないとしたら
その場で手に入れて、後はゴミの様に燃やしてしまう
そういう心理になってしまうのかな

弱い者に対して、人はどんどん傲慢になる

恐ろしいが、人間にはそういう習性が潜んでいるのは確かなんだ

圧倒的格差を与えられた時、その人間に歪みがあった場合はそれが顔を出す

マイナスの条件が重なってしまった時に


被害に遭った女性達は魅力的な人ばかりだった

凶悪な男達と言えども、誘惑されるのは確かなんだ

でも、性行を遂げた後、誘惑されたことを恥じるのか

その恥を拭う為に、被害者女性を亡き者にするのか

自分のプライドを保つ為に

自分が魅力に負けたということを誤魔化すために


犯罪者の心の闇に焦点を当ててみよう

そもそも犯罪者達は、どういう人間なのか

どんな境遇で育った者達なのか

圧倒的な力を持つ階級社会の中で

人の心理はどう歪められていくのか

映画「es(エス)」
危険な心理学実験
囚人と看守の役を設定すると、人はどうなるかというお話

これの元となった
「スタンフォード監獄実験」

人は置かれた環境で、置かれた立場らしく振舞う様になっていき、
それがどんどんエスカレートしていき、本人の意思では止められなくなってしまう…

この心理とも関係あると思う


女の人を酷い目に遭わせると、いいことをしたかのような錯覚が得られるのだろうか

祭りのような?

狂気の祭り

ハイテンションになってしまう

残酷な事をすることで気分が高揚してしまうのではないか


歴史や環境に影響を受けて

何かに突き動かされるように凶行を犯してしまうのだろうか

とすると、彼等も大きな力の被害者なのか

加害者本人達も楽しいわけではないのかもしれない

弱い者をいたぶる者は、恐怖に後押しされていることが多い
彼等は社会から知らず知らずのうちに恐怖の圧力を受けているのかもしれない

狂っている社会の中にいると、常に狂気の影響を受けているのは確かなんだ

自分のいる世界に合わせようとしてしまうんだろうな


映画にもなった酷い事件を思い出した

「評決の時」だ

黒人の娘(なんと10歳!)が白人の大学生2人にレイプされ
その後残忍な暴行を受けた
娘の父親が犯人2人を銃撃した
裁判の映画だ

あの時の犯人の凶行が、このインドの社会問題と繋がる

あの犯人達はレイプの後、酷い暴行を加えたのだ

性行だけでも酷いのに
嗤いながら自分達の尿をかけ
その後、女の子を樹に吊るしてマトにして空きビンを投げ付けたのだ
(激しい怒りで、あの映画を観た後、暫くは心が元に戻らなかった)

あの犯人達の心理だろう

戦争の時に捕虜をいたぶったり
中世の魔女裁判で拷問をしたりするのと同じ

ホームレスの人をいたぶるならず者達と同じ

コンクリート事件の犯人達

いじめが行き過ぎて、凶行になってしまった者達

虐待が行き過ぎてしまった者

いたぶりという行為自体を愉しんでしまう心理

これをしたらどうなるかという興味

捕まえた虫をいたぶる幼い子供達の心理

何故、人間相手にそれが出来るのか

相手の人権を認識出来ていないからだ

自分と対等な人間だと思えていないからだ

思えていなくても、普通なら酷い行為って出来ないものだけどね

人を思いやる気持ちが欠如しているんだ

「いけないことだよ」という意識が抜け落ちてしまっているんだ

「自分がやられたらどうなの?」という意識を持たせることだ

「逆の立場で考えてごらん」と誰かが教えるべきなのかもしれない

常に、相手の立場になって考える習慣を持っているものなら、決して残忍なことは出来ないものだ


犯人が複数だった場合
仲間意識も関係ある
仲間に腰抜けと思われたらいけないという恐怖感

仲間に自分が強いところを見せないといけない

集団心理

例えば、結婚を断られた男
もしかしたら、それを聞いた周りの男達が焚き付けた可能性もある

「お前、そんな侮辱を受けて、相手に思い知らさなくていいのか?」などと
「そのまんま放っておいたら男の沽券に関わるぞ」
そういう流れも想像出来る

前に誰かの凶行を手伝ったから、今度は自分の番ということもあるかもしれない!

断れば「裏切り者」ということで、今度は自分が酷い目に遭わされるかもしれない
それは大変な恐怖だろう
自分が仲間達とやった事が、今度は自分に降りかかる…
そういう事情が絡み合っている場合もある

最初からこういう仲間と関わりを持たなければいいのだが、そうもいかない

精神的に自立出来ていない弱い人間は、そういう集団の圧力に弱い

仲間に入れば強くなった気になれる

最初は安易に関わる

深く関わってしまい、自分も加害者となってしまったら、もう抜け出せない

強い恐怖感は人を簡単に凶行へ向かわせる

そこまで来たら、もう後戻りは出来ない

段々、理由が納得出来てきた
そういう流れかと
なんて醜い
なんて脆弱な

人は、正しい心を強く持ちつづけていないといけないと痛感する


教育だ

これを防ぐには教育しかない

子供の時から
「自分がされて嫌なことは、人にしてはならない」
と教えなければならない
それと
「人は皆、平等に基本的人権を持っている」
ということも

「仲間が誘ってきても、いけない事はしてはならない」

「常に自分の頭で考えて、慎重に行動すること」

これもだ

こういう基本的なことが身に付いていない者が少数でも居るだけで
その他多くの人間の安全が脅かされてしまう
みんなでこの教えを徹底させて、お互いの安全を守り合うべきなのだ

堅物な印象を受ける結論だろうけど、これが行き着く真実だと私は思う

取り敢えず、私なりに考えた上での、現段階での答えが出た

 

ここ最近のテーマから


 あれから更に調べてわかってきたこともある

書き出したら止まらなくなりそうな世界だった

ある日突然、美しい女性が直視することが出来ない様な姿に変えられてしまう猟奇的な事件
それがある地域で多発していた

ここ最近のこの件絡みの記事は
カテゴリー「差別を破壊しよう」に纏めてあります。
もし気が向いたらこちらもよろしくお願いします。

でもここはアトピーのブログ
本流から外れてしまうので、最近の一連のテーマはここで一旦区切ろうと思う

このテーマは改めて別の場所で展開するかもしれないけれど、ここではひと段落させる

その為に今回はアトピーのことと絡めて纏めてみる

今回、思う事を書いてきて、私の中に大きな変化が生まれた

   私の悩みは小さい

いや、誤解されそうで表現が難しいですが
これはこれで大変ですよ
今は治まってきたからいいものの、酷い時は本当に大変でしたから
例えば、年中夏でも白い綿の手袋が外せなかったんです
それも皮膚のひび割れから滲出液が滲んで手にくっついてしまうから、簡単には外せない
無理に取ったら皮膚ごと剥がれる
いつも全身がヒリヒリ痛くて辛いからそおっと歩く
外に出るのは一苦労

でも、それでも、惨劇の被害に遭った彼女達のことを知った後では、小さな悩みとしか思えない

今の私の場合、「酷い顔」とは言っても、
見た人が逃げ出すレベルではない

気にしない人は普通に話してくれる

炎症が酷く動けないくらい辛い時もある

でも、視力も聴力も失っているわけでなはないし(視力も聴力も弱ってはいるけど)
話すことも出来る、こうして文字も打てる
鼻が失くなってしまった訳でもない

当たり前?

それが当たり前ではない世界もある

そういう毎日を送っている人がいる

確かに比べるのは違う

比べてはいけないとも思う

比べる自分がまた嫌にもなるけど

でも
やっぱり、もっと大変な思いをしている人がいる
と思うと、

「こんな小さな事で悩んでいて申し訳ない!」

という気持ちになる

この気持ちは失礼にはならないだろう

そりゃあ環境の違いも辛さの度合いには大きく関わってくる

この現代のキレイが当たり前みたいな日本で

皮膚疾患の人間は生きづらい

それは身を以て感じた

差別されるってこういうことかと思い知った

屈辱だった

それでもどんなに頑張っても挽回出来ない

悔しかった

体験者でなければ絶対にわからない思い

それでも、いや、だからこそ

もっと辛い人の気持ちも想像出来る


私はハッキリ言ってシワシワ
いつもどこかに白い皮も剥けている
髪のお洒落も出来ない
お化粧全くしてない
服も髪型もアトピーを隠すことが優先

スタイリッシュになれない
ダサいと言われてしまう

最近なんて、70歳代でも綺麗な人はいる
可愛い人もいる
それに引き換え…と思うと辛い

身体の動きも表情も制限されてしまう

シチュエーションに合った表情も上手く作れない

挙動不審な感じにもなってしまう

人からは見下される

でも
もうそれでもいい!

どんと来いや!

と思えるようになった

いや、この意気も一人でいる時だけで
外に出ると、なるべく目立たないようにそそくさしてしまうのは変わらないけど

それでも気持ちは随分変われた

だって何千年も昔から
厳しい階級制度で縛られ
ずっとそういうものだと思い込まされてきて
見下されるのが当たり前という中で生きてきた人達がいるんだもの
そういう民族や種族があるんだもの

自分の意思も表現出来ず、絶えず怯えて
ただひたすら上の階級のために身を粉にして、文句も言わず働き続ける…

日本人だってヨーロッパに行けば結構酷い扱いを受ける
猿扱いするようなヤツもいる
ツアーじゃ守られているからわからないけど、個人で行くとわかる
自分達白人とは違うって姿勢がハッキリとわかる

差別

でも、それがある程度で止まっているならまだいい

今回知った世界では、カースト制が廃止になった今でも、いや、ある部分ではエスカレートしているのだから
人の身勝手さって阻止しなければどこまでも進む
それがいつの間にか狂気に変わっていても気付かない


だって、日本人の感覚ではどう考えたって理解出来ないでしょう?
何処かで「えー本当のことなの?」と事実さえ疑ってしまう

そう思ったら調べてみてほしい

キーワードは「アシッドアタック」「インド 硫酸」で

私も最初の記事に触れた時は、ネット特有の強調記事だと思っていた

知らなければ、その程度で終わってしまう

幾つもの事例を写真で見て、初めて現実感が湧いてきた

え?えっ!?えーーっ!?!だ

記事に触れたとしても、実感として認識するまでには時間差がある
認識度の差もある


例えば日本で

「好きです!付き合ってください」

「ごめんなさい」

これはよくあること

『残念、でも仕方がない』で終わる

でも向こうの国では

断られて腹を立て、夜中に仲間達を引き連れて、家に押し入り暴行し
数人で押さえ付けて、硫酸をかけて
顔を中心に人を溶かしてしまうんだよ!

その後その人はその身体で生き続けなきゃならないんだよ

その人の家族まで巻き添いにすることもある

信じられないでしょう!?

日本でこんな事があったら大ごとだよね

というか、まずあり得ないよね

もしあったとしても、罰も厳しいだろう

これが根深い強い差別から罪の意識も失われて、平然と行われている国が、地域が今もあるんですよ!

しかもその数、3,000件!
報告されていないケースも入れたらもっと多い

なんて地獄

これを思ったら、この平和な日本で
何が辛いかって思えてくる

こんなおそろしい現実を知ってしまったのは辛かったけど、知らないだけで、ずっとそこには存在していたんだから

ニュースでイスラムISの事は知れ渡ったから
多くの人がそれを目にして耳にして
恐ろしいと怯えたけど
まだ知らない事で恐ろしい事は他の国でも沢山ある

日本はなんて天国なんだろう

(日本にだって、知らないだけで恐ろしい世界はあるだろう
 でも、現時点ではこう書かせてもらう)

人々がお互いに気を使い合って
お行儀良く礼儀正しく振舞うのって
なんて素晴らしいんだろう
知的水準がみんな高いから出来る事
それを守るような教育を広く行き届かせてきたから出来た事

教育が無かったら、教育があっても間違っていたら、野蛮な世界にもなる

本当に考えさせられた

だからもう、アトピーである自分を恥じてはいけないと思った
(ここでアトピーに落とし込むのがアトピーブログ)

こんな程度で(酷い時は本当に死ぬ程辛いけど)負けていられないと思った

周りのキレイな人達と比べると辛くなるけど
話していて「あらぁ…」みたいな態度取られるとキツいけど

   私は悪くない!

これからは気持ちの踏んばり方を変えようと思う

踏んばり方にも本腰を入れようと思う

そうだ、今迄はここには気合を入れていなかった

精一杯、我慢してここまでやって来たけど
「自分は悪くない!」と堂々とする気持ちというのは弱かった
何も言われない様に、隠れる様に生きてきた
余り見られないように、目を逸らす癖が付いてしまった

恥だと思ってきたんだ

いつからだろう

昔はこんな事、気にしてなかった

いつから恥だと思うようになってしまったのだろう

差別の恐ろしさをここに感じる

差別を受け続けていると、自分を恥ずべき存在だと思い込むようになってしまう
(私の場合は被害妄想もあるかもだけどね(^^;)
小さな差別が被害妄想を育ててしまうこともある。
被害妄想もそれはそれで膨らむと怖ろしいんだけど、ここでは省略)

長い歴史の中で虐げられてきた人達も、そうやって階級の差をどんどん強固なものにされてきたのだ

負けちゃいけない

騙されちゃダメなんだ

ここは虐げられる側の力が絶対に必要

まず初めは、当事者が立ち上がらないことには、誰も助けられないから

第三者は後から支えることは出来ても、当事者そのものにはなれないから

本人が強く、自分の人権を守りたいと思わないといけない


ここにも精一杯の気合が必要だったのか

見た目重視な人達に引っ張られない
そっちが優勢だと思わない様にする
見た目優先なんて偉くもなんともない!

自分の価値観を強く持つ!

私も気持ちを新たにして頑張らなくちゃいけない


今回のテーマで、感動的な話にも出会えた

被害に遭った女性で
こういう問題を無くすために立ち上がって活動している人がいた
その人は、その活動を通して、理解ある男性と出会った
彼女の顔は元には戻れないけど
その男性は彼女の人間性の素晴らしさに惹かれ、愛する様になった
そして、またここでも差別によって結婚を反対されたけど
負けずに一緒になりお子さんが生まれた
彼女が自分の赤ちゃんを愛おしそうに抱いて頬ずりしている写真があった
優しい笑顔だった
涙が出た
今、これを書いているだけでも込み上げてくる
数は多くはなくても
素晴らしい人はいる

この世の全てが悪いわけじゃない

極悪人もいる
自分の頭で考えられずに慣習に流される者もいる

でも、素晴らしい人もいる
本物を見極められる人は必ずいる

 

Appendix

プロフィール

瑠璃色

Author:瑠璃色
『あとひといきの会』の管理人
瑠璃色です。
重症寝たきりアトピーでした。
脱ステ脱プロ脱保湿継続中です。
現在は別のサイトで心理カウンセリング事務所を経営しています。

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